☆世界で一番甘い化合物(1)

 拙著「有機化学美術館へようこそ」では、口絵ページに「有機化学ギネスブック」というコーナーを置いてみました。最も大きな炭素環、最も丈夫な合成繊維などいくつか化学の世界のワールドレコードを取り上げましたが、いくつかこのコーナーに関して質問も受けています。今回はそのひとつ、「最も甘い化合物」について解説してみましょう。

 甘い化合物の代表といえば、言うまでもなく糖類です。糖は体内に取り込まれるとすぐに燃やされ、効率のよいエネルギー源となります。この大事な化合物を積極的に取り入れるため、糖を食べると快い味を感じるように生命は進化したと見てよいでしょう。実際、体内のイオンバランスを整える食塩、タンパク質の原料であるアミノ酸、DNAやRNAの原料となる核酸類など、人間が生きるために必要な化合物には食べると美味しいものが少なくありません。


甘い化合物の代表、砂糖(スクロース)

 が、この糖類は摂りすぎると、肥満や糖尿病など危険な成人病を招くことはご存知の通りです。生命は栄養が不足している環境をなんとか生き延びようという工夫はしてきましたが、現代のような栄養過多の状況はここ数十年のごく一部の国で初めて起こったことであり、生命のシステムはこれにまだ対応できていないのです。そこで人類は、甘いのにカロリーにならないという大変に都合のよい化合物を探し始めたのです。これが世にいう人工甘味料の類です。

 史上初めての人工甘味料は、古代ローマ帝国で用いられたサパ(sapa)であるといわれます。博物学者プリニウスが書き残した文書には「鉛の鍋で腐敗したワインかブドウ汁を煮詰めるとサパが得られる」とあり、これを加えれば料理に甘味がつき、ワインが日持ちするようになることが知られていたようです。実はこの甘味成分は酢酸鉛であり、確かにこの化合物は甘く、殺菌作用があります。当時の料理のレシピにもサパを使った料理がたくさん載っていたというから人気食材だったわけですが、サパは鉛化合物ですからもちろん有毒で、あるいはローマ人が短命だったのはこれが影響していたのかもしれません。

 近代化学が初めて発見した甘い人工化合物はサッカリンで、1879年にジョンズホプキンス大学のRemsenとFahlbergが発見したものです。ある日彼らが実験を終えて夜食に取りかかったところ、食事が異常に甘い味がすることに気づいたのです。原因を調べたところ、それは彼らがその日の実験で作った化合物が甘い味のもとであることがわかりました。彼らはよく手を洗わないで食事をしたためこの発見をしたわけですが、まあ19世紀にはまだ化学物質の危険がはっきり認識されていなかったため、このあたりだいぶ不用心であったのでしょう。ちなみにこの時代の論文には、化合物の融点・色・溶解度などと並んで、「味」という項目が堂々と掲載されています。今はもちろんこんなことはやってはいけません――といいたいところですが、この後に見つかった人工甘味料は、ほとんど実験者の不注意で偶然発見されたものです。


サッカリン(300)。黄色は硫黄、紫はナトリウム
( )内は砂糖の何倍甘いかを示す数字。以下同様

 ともかく彼らが見つけたサッカリンは、甘さが砂糖の300倍という強力な甘味料でした。発ガン性を疑われて禁止になった時期もあったものの(詳しくはこちら)サッカリンは甘味料として成功を収め、これは後にチクロ、ズルチン(ただし毒性のため後に使用禁止)、アセスルファムKなどの開発につながってゆきます。


チクロ(cyclamate、30〜50)、ズルチン(dulcin、250)、アセスルファムK(acesulfame K、180〜200)

 これらの甘味料では構造と味の関連が詳細に調べられており、例えばズルチンのエトキシ基をメトキシ基に変えると甘味が弱まり、プロポキシ基に変えると甘味が全くなくなるといいますから、なかなか微妙なものです。


 これら完全に合成品の甘味料の他、糖類からの誘導体もいくつか認可されています。エリスリトール、キシリトール、マルチトールなどの糖アルコールがよく用いられます(こちら)。一般に、水酸基をたくさん含む化合物には甘味があるのです。例えば水酸基を2つ持つエチレングリコールやジエチレングリコールなども甘味を示しますが、これらは体内で代謝されて有毒な化合物に変化しますので、しばしば中毒事故を引き起こします。


エチレングリコール(左)、ジエチレングリコール(右)

 こうした糖類誘導体甘味料の中で最近になってシェアを伸ばしているのがスクラロースという、砂糖の水酸基のうち3つを塩素に置き換えた化合物です。有機塩素化合物というとイメージがあまりよくありませんが、この化合物は毒性も低く、砂糖の600倍という甘さで後味なども悪くないことから、今や甘味料のエース的存在になりつつあります。塩素原子は水酸基と大きさが似ているので舌では甘さを感じますが、胃腸ではしっかり「こやつは糖ではない」と見分けられてしまうため消化吸収されず、カロリーにはならないわけです。


スクラロース(600)。黄緑色が塩素原子

 ちなみにこのスクラロースは、初めてこの化合物を合成した学生が教授に電話で指示を仰ぎ、「その化合物をテスト(test)してみてくれ」と言われたのを「味見(taste)してみてくれ」と聞き違え、舐めてみたら甘かった、という冗談のようないきさつでその甘味が見つかりました。この聞き違えが現在年間50億円以上の売り上げをもたらしているわけですから、世の中何が幸いするかわかったものではありません。


 サトウキビやテンサイなどの植物以外にも、甘味を示すものはいくつかあります。例えば生薬として古くから用いられている「甘草」の甘味成分はグリチルリチンという化合物で、抗炎症作用などの薬理作用があり、現在も歯磨きや医薬の矯味剤(薬のまずい味を隠すもの)として利用されます。


グリチルリチン(30〜50)

 南米の植物ステビアから得られる化合物ステビオシドは砂糖の300倍の甘味を持ち、カロリーは4kcal/gと砂糖とほぼ同じです。「ポカリスウェットステビア」として商品化もされましたので、名前をご存知の方も多いでしょう。


ステビオシド(300)

 これらはご覧の通り糖の分子がくっついた、いわゆる「配糖体」です。なるほど、糖がついてるから甘いのか――と思うところですが、実はそう簡単なものではありません。例えば柑橘類の果皮から得られるネオヘスペリジンの誘導体について構造味覚相関が検討されていますが、下図左の分子が砂糖の950倍という強烈な甘味を示すのに対し、右のものは何の味もしないといいます。


左(950)、右(0)。メトキシ基と水酸基の位置が逆になっただけで甘味が消滅する。

 かのシクロアワオドリンの生みの親である西沢麦夫教授は、こうした甘味配糖体の合成に取り組んでおられます。93年には砂糖の3000倍という超甘味配糖体オスラジンを合成したのですが、なんとこれには味がなかったのだそうです。実はこれは推定構造が間違っており、下図右のような構造が正解だったのでした(ただし甘味は500倍だったとのこと)。しかしこの両者でなぜこうも味が違うのか、不思議という他はありません。


わかりにくいが、右上の6員環の立体配置が異なる。

 甘味化合物の話はまだあります。最強の甘い化合物の話はまた次回に。

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