☆シクロファンの世界(2)
さて前回の「小さなシクロファン」に続き、「大きなシクロファン」の話題に触れてみましょう。今回はグラフィック多め、ビジュアル指向のページになっていますので、化学なんぞ知らないよという方も絵だけでも見ていって下さい。
前項で、シクロファンの定義は「分子自体が大きな輪の形をし、かつその輪の構成成分に芳香環が含まれている環状化合物の総称」であると述べました。この定義ですと極めて多くの分子がこれに該当し、例えば天然由来の医薬として用いられているバンコマイシンやメイタンシン(下左)といった化合物もシクロファンの一種といえることになります。
ちなみに炭素骨格だけからできた狭義のシクロファン骨格を持つ分子は天然には存在しないと思われていましたが、最近になってある種の海藻から[7,7]パラシクロファン骨格を持つ化合物が発見され、「シリンドロシクロファン」(上右)と命名されました。人工的にしか作り出し得ない突飛な構造と思っていたものが、後になって天然からも見つかるというのは化学の世界にはよくあることです。
人工のシクロファンにもバリエーションは多く、いろいろな意図を持って設計されたものがあります。例えば下のコランニュレン構造を持ったシクロファンはSiegelらによって合成されましたが、これらは横腹に穴の空いたフラーレンのモデルとみなすことができるでしょう。
下の大がかりなシクロファンはBaldwinらによって合成されたものです。これは血液中で酸素を運ぶヘモグロビンの機能を再現しようとしたものです。
しかし「大きなシクロファン」の大半は、その環の中に他の小分子やイオンを取り込む機能を狙って合成されたものです。一般に取り込まれる方を「ゲスト」、取り込む方を「ホスト」と称しますが、ではなぜシクロファンは他の分子を取り込む性質を持つのでしょうか?
もともと分子の表面には、互いを引きつけ合う弱い力が存在しています。気体を冷やすと液体・固体へと変わるのは、この力によってお互いを引き寄せ、凝集するからです。分子が長いひも状ですとバタバタとのたうち回って互いを引き寄せるどころではありませんが、これを環にしてやれば動きは大幅に制限され、環の中は吸引力に満ちた、ゲストにとって居心地のいい空間になるはずです。
中でもベンゼン環などの芳香環を持つシクロファンは(1)芳香環はπ電子と呼ばれる余分な電子が表面を覆っており、これが他の陽イオンや分子を引きつけやすい(2)芳香環は平面的で変形しにくいので、ある程度しっかりと形の決まった環が作れる(3)芳香環を化学変換する様々な方法が確立しており、目的とする分子が合成しやすい――などといった条件が揃っており、現在ホスト−ゲスト化学の主役のひとつを占めるに至っています。上の図ではベンゼン環に囲まれた空洞に、銀などの金属イオンが捕まえられています。
イオンを捕らえる分子としてはクラウンエーテルがよく知られていますが、このクラウンエーテルとシクロファンの合いの子のような分子も合成されています。下左の分子は銀イオン(紫)を捕らえるとアントラセン(黄緑)部分の紫外線吸収が変わり、イオンのセンサーとして使える可能性があります。
イオンでなくもう少し大きな分子を捕まえようとすると、環の方もかなり大きなものが必要になります。下に示すCP44と呼ばれるシクロファン(黄色)はナフタレン(緑色)などの分子を捕捉しますが、CPKモデルと呼ばれるタイプの分子模型(下右)で見るとゲストのナフタレンがほとんど隙間なくぴったりとはまりこんでいることがわかります。
もっと大がかりなホストも合成されていて、例えばDiedrichらによって合成された下のようなシクロファンはステロイドのような大きな分子さえ取り込んでしまいます。
ドイツのVogtle教授はこの分野の先導者の一人で、球状の形をした「スフェリファン」、窒素を含んだチューブ状のシクロファンなど様々な美しいシクロファンを世に送り出しています。後者はサイズを変えたものも作られており、効率的に大きなものを合成できれば人工のカーボンナノチューブにもなりそうです。
シクロファンは美しい構造を持つものがたくさんあり、つい調子に乗って絵をたくさん描きすぎてしまったので(笑)、このシリーズはパート3へと続くことにします。